しばしの別れ。


7月1日。
嫁に妊娠の兆候。
産婦人科に行くも、初期段階のため、はっきりとした状況は不明。
空気読めない医師が「子宮外妊娠のおそれが…」等と余計な言葉をぬかす。
不安な日々を過ごす。


7月9日。
子宮内に子供の姿を確認。
安心と喜びで涙が止まらない。
『卵巣の腫瘍』という不安要素が判明したが、子供が母親の危機を教えてくれたと思うと嬉しかった。


妊娠確定後。
嫁のつわりが徐々に酷くなってくる。
毎週のように味覚が変わり、食べられる物がコロコロと変わる。
トイレに駆け込む回数・時間が増え、低血糖のため意識が遠のく等の症状まで現れる。
つわりは睡眠にまで支障をきたすようになる。
仕事で30時間は継続して嫁の傍にいられない事がとてつもなく苦痛だった。
でも嫁はそれ以上に不安で寂しがっていたと思う。


8月。
ただでさえろくに食事をしていなかったのに、固形物をほとんど口にできなくなる。
優等生だったグレープフルーツゼリーもついに脱落。
グレープフルーツジュース、サイダー、アイスでは空腹を満たせない。
食べたいのに食べられない、眠れない、旦那は仕事で家にいない。
精神的にも相当参っていたと思う。
体重は去年出会った頃から10キロ痩せていた。


8月6日。
職場で休憩中、嫁が6日の夜明け前に書いていた日記を読む。
限界が近づいていると感じた。
一日でも早く実家に帰そうと決意。
11日に診察の予約がを入っていたが、悠長に待っていられない。
病院に、嫁に、義母に、母に、すぐさま電話した。
「明日病院に連れていく。
 問題なければ明後日には実家に連れていく」
独断だった。
有無を言わさず、無理矢理話を勝手に進めていった。
ずけずけと意見を言える立場にあるのは自分だけだった。
旦那の両親があまりに近くに住んでいるため、嫁は「実家に帰りたい」とは簡単には言えない。
互いの両親は、心配はしていても、こちらから協力を求めない限りは口出しをしづらい。
微妙なバランスで成り立っているのはわかっていたから、利用させてもらった。
誰からも反対はなかった。


8月7日。
夜勤明け。
普段より早くあがらせてもらう。
心配していた両親が車で病院まで送ってくれた。
午前中に受付けをし、前日の電話の事もあり、不調を訴えると優先してすぐ診てもらえた。
結果は。
子供は順調に成長していた。
写真を見せてもらうと、頭、手足がはっきりと確認できた。
「腕の付け根辺りで心臓が動いてた」と聞かされた。
卵巣の腫瘍は相変わらずあるものの、肥大はしておらず、慌てて対処する必要はないらしい。
仮に手術するとしても、卵巣の機能は失われないようにできると説明を受けた。
嫁の安心した顔を見て、子供が無事成長している事がわかって、嬉しくて涙が出てきた。
診察を受ける前と後では、嫁は明らかに元気を取り戻していた。
安心したせいか、夜勤明けという事もあり、僕は買い物を終えた夕方以降爆睡してしまった。


8月8日。
両親が車で名古屋駅まで送ってくれた。
指定を取った新幹線はまだ混み合っておらず、大阪の嫁の実家まで座りながら順調に帰る事ができた。
高槻駅前で昼食や買い物をし、タクシーで嫁の実家に帰った。
お義父さん、お義母さんは嫁の元気そうな顔を見て安心されていた。
独断で話を進めた事を謝ると、「迷惑かけた」と逆に謝られてしまった。
迷惑なんて思った事は一度もないし、いつもやりたいようにやらせていただいてるのに。
感謝したいのは僕の方やのに。
近所に住んでみえる親戚のおじさん夫婦も、僕が来ていると知って会いに来てくださった。
嫁を通じてお義父さん達と家族になれて本当に良かった。
翌日はまた朝から仕事なので、夕方には高槻を出発した。


実家に帰った嫁は、以前より元気になった。
診察の結果、お腹の子供や卵巣腫瘍に対する心配はかなり軽減された。
実家に常に両親のどちらかがいる事で不安がなくなり、その影響か、すでにつわりが多少軽くなっている。
嫁と一緒に過ごせないのは寂しいけど、元気でいてくれたらそれが一番。
つわりが治まるまでのちょっとの間、しばしの別れ。